映画 告白 湊かなえ原作 中島哲也監督
「湊かなえの作品は読後感がかなり悪いよ」と妻が言っていた。悪いと言われ、キャスティングに松たか子、木村佳乃と分かると怖いもの見たさで観ずにはいられなかった。
中学や高校の頃の思春期は、謳歌した人も、しなかった人もいるだろう。謳歌していないと自己認識がきちんとその時期に出来ている人であれば、大人になった今では、きっと何事かを成しとげていると思う。所謂尖った大人だ。もし、何事も成していなければ、ちょっと危険な大人か、これから為す人だろう。自分は、その当時は謳歌した様に思っていたが、今から振り返れば、周りに流され主体性のない思春期であり、謳歌している風な、この映画のクラスメイト大勢の一人の様だった。
母の愛を十二分に受けた人間からしたら、承認欲求は無に等しい。びっくりする程それはなく、自分は大丈夫だというのが、DNA、魂レベルで浸透している。自分がそのことを知ったのは大学生時代で、友人から、「なぜ君は何もないのに大丈夫そうなんだ?」と言われたことに端を発する。今思えば、「何もない」は大変失礼な言い方であるが、その当時は、失礼とは思わず、確かに何故だろうと思い深く心に残った。その後、色んなものふ触れるにつれ、無償の母の愛があることが根底であることを理解した。
そのため、愛というものを受けなかった人間のことを理解するのは難しい。愛を受けないということがあるのか、愛を受けているのに、受けてないと感じてしまうのか。愛を受けていたのであれば、自分で愛を感じる事が出来なければ、更生への道は愛を感じる様にするということにある。愛を受けていないのであれば、更生するという概念も理解できないか、永遠に承認欲求を求め続ける存在となるだろう。愛豊かに歩んできた人が、その愛を人の手によって切り裂かれた場合、完全な狂人にはならず、愛故にこそ、ゆっくり更生の道を歩むのだろう。一生くらい時間がかかるかもしれないが。最後の、松たか子のセリフの時に、表情を映さず黒暗転した様に。
なんてね。
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