僕はやっと認知症のことがわかった 長谷川和夫、猪熊律子 KASOKAWA
認知症の長谷川スケールで有名な長谷川先生自身が認知症(日常生活に支障を来している状態)になったとのことで、その思いを記載したのが本書である。認知症ではあるが、本を記載できる(猪熊さんのサポートも大きいと思うが)くらいの、まだ認知症の程度としては軽いようである。 認知症になっても研究心は旺盛で、「症状が進行している自分をもう一人の自分が見ているような気がする」とのこと。朝方は調子が良いが、夕方にかけて次第に物忘れが多くなる、自分が体験の「確かさ」がはっきりしなくなったなどのご自身の症状を詳細に記載している。認知症でいちばん多いアルツハイマー型認知症の場合、一般的に、まず時間の見当がつかなくなり、次に場所の見当がつかなくなり、最後に人の顔がわからなくなるとの事である。 認知症に関し、医療に携っている小生も認識を間違っていた事にいくつか気づいた。まず、長谷川スケールの測定方法。100-7を繰り返すもので、100-7=93と答えたら、93-7はとやっていたが、それではダメで、93という数字を覚えていることも重要とのことで、そこから7を引いて下さいとやらないといけないそうだ。次に、認知症になった人自身も、以前であれば難なくこなせていた配慮や気配りができなくなってきているのを感じる事ができている事。つまり、できなくなったり、わからなくなっていることを「認識」できている事。 この認知症であることを認知症患者さん自身が認知していることを理解していないと、認知症になった人への対応が雑になり、人間らしく扱わない(どうせ言ってもわからない)ことになり得る。長谷川先生も、不当な扱いをされて、気持ちが落ち込んだそうだ。なので、「じつは、自分は認知症なんですよ」といえるような社会が大事だと言っている。認知症の当人抜きで、いろんな事を決めないでほしいと。認知症の人と生きる上で、笑いはとても大事な事、話を良く聴いて欲しい事、寄り添うことの大事さ。当たり前のことであるが、認知症になった人も人間なのだ。 「おじいちゃん、私たちのことをわからなくなったみたいだけど、私たちはおじいちゃんのことをよく知っているから大丈夫。心配いらないよ」この長谷川先生の娘さんが言った言葉は、認知症の人と接するにあたり、とても示唆に富んでいる。